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歴史・人物

 

 【日本】

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古代日本の知恵袋、渡来氏族「秦氏」の摩訶不思議

東京農工大学大学院技術経営研究科教授 松下博宣
 前回に続き、厩戸皇子(聖徳太子)の時代までさかのぼって、歴史をひもときつつ、そこから様々なインテリジェンス活動、すなわち、「個人、企業、国家の方針、意思決定、将来に影響を及ぼす多様なデータ、情報、知識を収集、分析、管理し、活用する」活動を読みとってみたい。
 厩戸皇子の知恵袋的存在として、秦河勝(はたのかわかつ)をとりあげる。秦氏一族の動きには古代のインテリジェンス活動が凝縮されているからだ。秦氏はユーラシア大陸のかなり奥まった地域の出身で、朝鮮半島を経由してやってきた渡来系氏族である。秦氏は6世紀頃から断続的に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来してきた。鉱山技術、鍛冶技術、養蚕、機織、酒造などの最先端テクノロジーを倭国に伝播させた氏族だ。
 

 

日本最古5億年前の地層、茨城の山地で発見

 約5億年前にできた日本最古の地層を、茨城大や国立極地研究所の研究チームが茨城県日立市北部の山地で発見した。
 日本列島誕生の時期が、従来説より最大で6000万年さかのぼる可能性がある。教科書を書き換える成果で、秋田市で20日から始まる日本地質学会で発表する。

 

 

日経エレクトロニクスが目撃した電子産業・歴史の現場

日経エレクトロニクスが創刊した1971年から現在までの電子産業の歴史を振り返る。各年を象徴する話題を一つ選び,当時の時代背景や記者ならではの秘話,今だからこそ分かる意味を綴った。執筆は,そのころ記者として日経エレクトロニクスの編集に携わったメンバーに依頼した。各年に掲載して読者の評判が高かった記事も併せて紹介する。現場の視点で見た電子産業の変転からは,不透明な未来を自ら切り開いた先人の知恵が浮かび上がる。
 

 

第468回 お江戸の訴訟事情(その1)(江戸を知りたい、その5)
●訴訟につぶされる!
『金(かね)の切れ目が縁の切れ目』といわれますが、金にまつわるトラブルは、いつの世も絶えません。
おそらく、人間が金を使いはじめた太古の昔からあったことでしょう。
はるか昔はともかく、江戸時代の中期になると、町奉行所に持ち込まれた訴訟の92%が金の貸し借りにまつわるものでした。
実数をあげれば、1714年(享保4年)、江戸の南北町奉行所が判決を出すべき訴訟件数が約3万5千件でした。
その92%ですから、膨大な件数です。
それだけ経済活動が活発であったことが想像できます。
しかし、それを処理しなければならない町奉行所の役人からみれば、とんでもない負担です。
そもそも、幕府は金の貸し借りに関する訴訟受付は『恩恵』と考えていました。
殺人、強盗などの刑事事件は捜査し、犯人逮捕し、裁判にかけて処罰することは義務でしたが、民事事件に関しては義務ではないという考えがありました。

●『話し合って解決せよ』
あまりの件数の多さに閉口した幕府は、1714年(享保4年)11月、『相対済まし令(あいたいすましれい)』を発布しました。
「これ以後は金の貸し借りに関する訴訟は受理しない。当事者が話しあって解決せよ」が、この法令の主旨です。
この法令によって、借り手の債務が消滅したわけではありません。
しかし、借り手である武士と貸し手である町人には、身分の差、権力の差があります。
よほどの貸し手でないかぎり、借り手と対等に話し合うことは不可能です。

●江戸時代の貸し渋り
借り手の武士は「借金が棒引きになった」と勝手に喜んだのですが、それは甘い判断でした。
貸し手側は、用心して貸し付けに慎重になりました。
いわゆる『貸し渋り』です。
江戸時代中期になると、ほとんどの武士は借金なくして生活ができなくなりました。
さらに、資金の流通が減少したため、不景気になりました。
これは今も昔も同じです。
幕府は『景気刺激策』を考えました。

不景気になった原因は『相対済まし令』だけではなかったのですが、発布してから10年後の享保14年(1724年)、これを廃止しました。
金の貸し借りに関する訴訟も受け付けるとしたのです。
そして、返済方法についての規定を追加しました。

 

「歴史好きの素人が語る歴史」まぐまぐメールマガジンID:0000183170より

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 【海外】

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第434回 第一次独立運動(ウィグル史入門その5)
日本のように『単一民族』と称している国家でも、意見の対立は珍しくはありません。
平和な時代であれば、それでも問題はありませんが、非常時では国家の安寧が妨げられる場合があります。
建国当初の国家では、意見対立は外国の干渉を招く場合があり、致命的です。
●混乱する新疆
第一次の独立のきっかけは、回族軍閥の馬仲英の新疆省への侵攻です。
回族とはイスラム化した漢族の名称です。
馬仲英は新疆省の東に接する甘粛(かんしゅく)省に勢力を持つ軍閥でした。
1931年3月、ハミの回王が死去しました。
回王とは、土着のイスラムの有力者です。
当時の新疆省主席の金樹仁は、回王の領地を没収し、その大部分を漢族に分配してしまいました。
死去した回王の重臣のホジャ・ニヤズはこの処置に怒り、イスラムである甘粛省の馬仲英に援助を要請しました。
馬仲英は軍を率いて、省都ウルムチ近郊まで進撃しましたが、新疆省政府軍の反撃を受けて撤退しました。

1933年4月、新疆省政府内部のクーデターにより、主席の金樹仁が失脚しました。
変わって主席に就任した人物が盛世才です。
このクーデターの知らせを聞いた甘粛省の馬仲英は、同年5月、翌年の1月に省都ウルムチの近くまで迫りましたが、いずれも盛世才に撃退されました。

●短命な共和国
1933年初めに、クーデターとは関係なく、ホータンで有力者のムハンマド・アミン・ブグラが反乱を起こしました。
クムル、トルファンの反乱勢力と共同して漢人官吏を追放し、同年11月12日、『東トルキスタン・イスラム共和国』の樹立を宣言しました。
これが『第一次東トルキスタン共和国』(以下、共和国と記述)です。
大統領にはクムルのホージャ・ニアーズ、首相にはホータンのサービト・ダーモッラーが就任しました。
彼らはイギリス、トルコなどの諸外国の承認を得て、独立を国際的に認めさせようとしましたが、失敗しました。
諸地域の対立により共和国の基盤が弱体化したり、さらに中華民国、ソ連が介入により、共和国は崩壊しました。

当時の日本は新疆省の情勢に深い関心を持ち、情報を集めていました。
独立運動が失敗後、共和国の一部の指導者は日本に亡命しました。
彼らは日本の支援により、独立運動を継続しようと考えたのです。
しかし、日本はこの地域への関心を失っており、独立運動の継続は実現できませんでした。

 

「歴史好きの素人が語る歴史」まぐまぐメールマガジンID:0000183170より

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 【人物】

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第509回 縄文時代の『数学』(その3)(歴史から見た数学その3)
『古代』という言葉からか『ロマン』を感じる時、『弱肉強食』を連想する場合、それぞれです。
我々が生きる現代社会も、ひとつの言葉では表現できません。
縄文人が生きた『現代社会』のひとつの面を紹介します。
●平和な交易風景
青森市郊外の三内丸山遺跡の出土物を調べると、当時の『交易』の広がりがわかります。
一例をあげれば、富山県糸魚川のヒスイ、岩手県久慈のコハク、北海道十勝地方の黒曜石です。
三内丸山からの直線距離は、それぞれ500キロ、100キロ、300キロです。
しかも、これらの品は武器を使った強奪ではなく、平和的な物々交換によって得られたと考えられています。

●海がハイウェー
平和的な交易を行うためには、相手先との共通な基準があったはずです。
三内丸山からの『輸出品』は栗の実でした。
どれだけの栗の実で、どれだけのヒスイと交換できるかという『交換レート』が三内丸山と糸魚川の間で成立していたのでしょう。
古代の地中海世界には『山は隔て、海は結ぶ』という格言がありました。
当時は、陸上よりも海上が、より早く、より多くの物資を運ぶことができました。
縄文時代の日本でも、航海術さえあれば、海を輸送手段とした交易ルートが存在していたと思われます。
その例が日本海を使った、糸魚川と三内丸山を結ぶ『ヒスイ・ルート』です。

●縄文時代のグローバル
35センチを基準とする、縄文時代の『縄文尺』は、日本海沿岸の共通の尺度であったかも知れません。
新潟県、富山県の縄文遺跡も、『縄文尺』で設計したと思われる建物跡が発掘されています。
さらには、日本列島の日本海沿岸だけでなく、朝鮮半島でも『縄文尺』の長さに近い尺度を使っていたといわれています。
縄文時代から、はるか後代の飛鳥時代、奈良時代に使われていた『高麗尺(こまじゃく)』が『縄文尺』とほとんど同じ長さといわれています。
しかし、『高麗尺』は幻の尺であるという説もあるため、ここでは詳細は述べません。

江戸時代の書物で、飛騨(現在の岐阜県北部)での材木運搬の様子を描いた『運材図会(うんざいずえ)』があります。
その中には、『間竿(けんざお)』と呼ばれる物差しで材木の長さを測っている場面があります。
その『間竿』の長さ、目盛りには『縄文尺』が影響しているといわれています。

●宇宙と語り合う
縄文時代では、天文観測を行っていた可能性が指摘されています。
全国にある環状列石の配置が冬至、夏至、春分、秋分における太陽の位置を示しているといわれています。
イギリスのストーンヘンジには、天文観測の結果が表現されているといわれています。
古代人には、太陽、月、星は現代人よりも近しい関係にあったのかも知れません。

 

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 【地理】

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◇◆ ベナン漁港の女性支援〜「女性の家」へのオール・ジャパンでの取組〜
(原稿執筆:在コートジボワール日本国大使館 宮下 由香 三等書記官) ◆◇
「安いよ!買っていきな!」「この魚はとりたて!」「ちょっと、そこどいて!」アフリカン・マンマのはち切れそうな体から響き渡る大声。
ベナン第一の都市、コトヌ漁港の日常です。
2003年に日本の無償資金協力で整備された漁港で魚を売るのは、パワーみなぎる600人の女性たち。
彼女らの経済活動を支援するため、2008年4月、日本は、草の根・人間の安全保障無償資金協力により「コトヌ漁港女性の家」を建設しました。
この「女性の家」には、託児所、会議所、小さな飲食店、清潔なトイレや井戸が設置され、女性たちのより良い経済活動に貢献しています。

JICAは、「女性の家」の運営支援のため、家政、青少年活動、統計、村落開発を専門とする4人の青年海外協力隊の派遣を決定しました。
意気揚々と現場に赴く隊員たちですが、漁港で働き、大家族を支えている、たくましい女性達とやり合うのは簡単なことではありません。
隊員は、習いたてのフランス語や片言の現地語(フォン語)を使い、「女性の家」の運営をより良くしようと、様々な提案をしますが、年季の入った女性たちには、「若造なんか話にならない」と一蹴されてしまいます。
一時は、女性たちが水道代の支払いを嫌がったため、「女性の家」はあわや機能停止となるところでした。
そこで活躍するのは、ベナン社会で一目おかれる経験者や年長者です。
日本から派遣されている水産専門家が、漁港に足繁く通い、女性たちに「女性の家」の自主的運営の大切さを訴え、協力隊員の話に耳を傾けるよう説得します。
岡村善文在コートジボワール日本国大使も、コトヌ出張時には「女性の家」を訪れ、女性たちや協力隊員を激励しました。
今では、「女性の家」の託児所のおかげで、女性たちは安心して仕事が出来ます。
また、トイレが出来たため、清潔な環境で女性たちは仕事ができます。
更に、毎月行われるようになった女性組合の定例会議。
話し合いの場を定期的に持つことを学んだ女性たちと、彼らを支える日本人たちから、今度はどんなアイディアが生まれてくるのか、楽しみです。

 

【ODAメールマガジン】より

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