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バイブルメッセージ

 

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バイブルメッセージ

 

 【 バイブルメッセージ】

http://www.crossnet.com.my/Mymagazine/CurrentMagazine/mymagazine_bible.htm

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心がなごむバイブルメッセージVol.2-37【創世記37章】
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37:5 ヨセフは夢を見て、それを兄たちに語ったので、彼らはますます憎むよう
になった。
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37章から、創世記の族長物語り最後の人物であるヨセフが登場します。ヨセフは、
ヤコブの12人の息子たちの下から2番目に生まれた子供で、年寄り子でもあった
ことから、父ヤコブに特別にかわいがられていました。そして、そのために、兄
たちは「ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」(4節)と記されて
います。

兄弟なのに穏やかに話すことさえできないなんて、どうやらヤコブの家庭には、
頭の痛い問題があったようです。それもそのはず、ヤコブには2人の妻と、2人の
側女がいて、この4人の女性たちから12人の息子たちが生まれたのです。しかも、
ヤコブはラケルを最も愛していたので、彼女の長男として生まれたヨセフを特別
にかわいがりました。これでは最初から問題大ありの家庭であったことは間違い
ありません。

そんなある日、ヨセフは自分の見た夢を兄弟と両親に語りました。「聞いてくだ
さい。わたしはこんな夢を見ました。畑でわたしたちが束を結わえていると、い
きなりわたしの束が起き上がり、まっすぐに立ったのです。すると、兄さんたち
の束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」(6〜7節)「わた
しはまた夢を見ました。太陽と月と十一の星がわたしにひれ伏しているのです。」
(9節)

こんなことを言われて、兄たちが怒らないはずはありません。彼らはますますヨ
セフを憎むようになり、とうとうその憎しみを爆発させたのです。

ある日、ヨセフが父の依頼で、羊を飼うために野に出ていた兄たちの様子を見に
行くと、兄たちは、ヨセフを捕らえて、着物をはぎ取り、空になった井戸の穴の
中に放り込んでしまったのです。すると、ちょうどそこを通りかかったミディア
ン人の商人たちが彼を穴から引き上げ、銀20枚でイシュマエル人の隊商に売り渡
しました。こうして、ヨセフは、エジプトに連れて行かれ、奴隷にされてしまっ
たのです。しかし、兄たちは、ヨセフは野獣に襲われて死んだと偽り、父ヤコブ
に報告しました。すると、一家に訪れた突然の不幸に、ヤコブは幾日も深く嘆き
悲しみ、慰められることを拒んだと記されています。

なんという不幸、なんという悲劇でしょうか! このとき、やがてこの家族に和
解と回復の奇跡の日が訪れるなどとは、誰も想像すらできなかったに違いありま
せん。しかし、ただ1人、エジプトで奴隷となったヨセフだけは違っていました。
彼の心の中には、神様がくださったあの夢がずっと燃え続けていたのです。そし
て、その夢は、ヨセフの人生を大きく動かす力となっていったのです。これから、
その奇跡を生み出す夢物語りが展開します。ご一緒にじっくりと読み味わいたい
と思います。

神様の恵みと平安が豊かにありますように!
平塚修久

 

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 「心なごむバイブルメッセージ」より

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 【 デイリーブレッド】

http://www.crossnet.com.my/Mymagazine/CurrentMagazine/mymagazine_bible.htm

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10月17日金曜日 ”嘘にだまされない”

 

政治家は断片的な事実をうまい具合に料理して、自分たちに都合の良いイメージ戦略を展開します。選挙期間中、候補者の広報室長は高感度アップのために様々な情報を操作して、真理をなおざりにすることさえあります。有権者にとっては、真理は何かという大切な問題が残されてしまいます。

 イエスによると、サタンは地獄の広報室長です。彼が偽りを言うときは、本性を暴露しています。なぜなら、彼は嘘つきの名人だからです(ヨハ8:44)。サタンは、束縛されない自由や快楽を与えるように見せかけて、実は、私たちから盗んだり、私たちを破滅させたり、殺したりする計画を隠し持っています(ヨハ10:10)。愛に満ちた神の教えをゆがめて、神の守りは禁欲とセットになっていて、人生の楽しみを奪ってしまうと主張します。サタンの嘘にだまされてしまうと、神と共に歩む人生を逸脱して、結局は空しさに打ちひしがれることになります。

 ありがたいことに、イエスが警告しておられます。サタンは嘘の父であると教えておられます。サタンのささやきが神のみことばに矛盾しているのなら、それはうそだと分かります。他方、イエスは真理です(ヨハ14:6)。サタンの情報操作に負けることなく正しい判断をしたいならば、イエスの御声に常に耳を傾けなくて名なりません。みことばを学び、祈りましょう。これこそが真理です。(Joe Stowell)

 

”神の真理がサタンの嘘を阻止する。”

 

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10月10日金曜日 ”多少のとげ”

 

ジェレミー・テイラーは17世紀の英国の牧師ですが、信仰のためにひどい迫害を受けました。家を略奪され、財産を没収され、家族共々極貧生活に追いやられました。ところが、彼は失われることのない神の祝福を数えつづけました。

 テイラーは次のように書いています。「明るい笑顔や快活な性格、そして私の良心も、彼らは奪い取ることができません。私は今でも神の御支配のもとにあります。彼らは御父の約束も、天国への希望も、そして迫害する人に対する私の親切心をも奪ってはいません。私は今も変わらず、眠ることができ、食べ物を消化することもできます。食べて飲んで書物を読み瞑想します。このように大いに喜ぶ理由があるからですから、多少のとげには悩まされないことを選択すべきです。」

 私たちはジェレミー・テイラーのような苦難の人生を送ることはないかもしれませんが、誰でも何らかの試練や苦難に遭うものです。そのとき、不平をつぶやきますか。それとも、「多少のとげ」に豊かな祝福を奪われまいと決意しますか。

 試練のために不平を言いたくなるときは、神のご誠実さを思い出しましょう。聖書は、「主に感謝して、御名を呼び求めよ。そのみわざを国々の民の中に知らせよ。・・・・・・主が行われた奇しいみわざを思い起こせ」(詩105:1,5)と語っています。(Vernon Grounds)

 

”不満ではなく祝福を数えよう。”

 

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10月4日土曜日 ”好奇心か同情進化”

 

 誰かが陥ったと聞くと、いつ、どこで、何がどうなったのかということには関心を持つのに、どうやってその人を助けようかと考えないのはどうしてでしょう。

 盲目の物乞いの傍を通り過ぎようとしたとき、弟子たちはイエスに「彼が盲目に生まれついたのは、誰かが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか」(ヨハ9:1−2)と質問しました。この人に手を差し伸べて助けたいという同情心より、苦しみの訳を知りたいという好奇心が勝っていたのです。この質問は主イエスの御心をまったく逸脱しています。事実、この質問の根底には独善的な精神が潜んでいました。つまり、誰が悪者かを知りたいという欲望です。そんなことを知っても、何の役にも立ちません。

 ところが、イエスは、ありがたいことに、同情心を込めて応答する模範を示してくださいました。憶測したり非難したりせず、ご自分にできることをして、彼を助けられました。この場合、それは完全な癒しでした。そして、その人の目が見えなかった理由を明らかにされました。それは、イエスの哀れみに満ちた手が彼に触れたとき、神のみわざがこの人に現れるためでした。

 他人の問題に好奇心の目を向けるのは、良いことではありません。イエスの御心に沿って、その人の必要に応えるように努力しましょう。痛んでいる人があるならば、手を差し伸べましょう。イエスの愛を行動で表しましょう。(Joe Stowell)

 

”イエスのようになりたければ、好奇心を愛に変えよう。”

 

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9月24日水曜日 ”ライフワーク”

 

主の働きに献身していた何人かの友人に、今年、変化が訪れました。フルタイムの奉仕をパートタイムにしたり、その働きから完全に退職したりしました。家庭の事情、つまり、親兄弟、または配偶者の介護するためにそうせざるを得なかったのです。子供に特別な必要が生じた人もありました。彼らは奉仕のために豊かな賜物を与えられ、実りの多い働きをしていました。全員が、主のためにすべきことはまだ十分にあると思っていました。この人たちは主の働きをライフワークとして何年もかけて自ら準備し、奉仕してきたのですから、この決断は辛いことでした。引退するにはまだ若すぎたからです。

 しかし、彼らはライフワークをあきらめたのではなく、むしろ、別のワークライフを与えられたのではないでしょうか。人を愛し世話をすることは、私たちのライフワークであり、自分の家族を顧みることは非常に尊い仕事です。そういう愛を否定するなら、冷淡で面倒見の悪い世の中の一員になってしまいます。

 家族の介護のために仕事を辞められる人ばかりではありません。仮定の経済状況や社会的責任のために、それができない人もいます。しかし、愛は、神の働き人の証ではないでしょうか。イエスは、神の子どものひとりに一杯の水を与える者は「決して報いに漏れることはありません」(マタ10:42)と約束されたのですから。(David Roper)

 

”本当の愛は感情ではなく行動だ。”

 

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9月23日火曜日 ”神は見ておられる”

 

私がジョ−ジ・オーウェルの小説「1984年」を読んだのは1960年代の初めでした。その中の一節は「偉大な兄弟があなたを見守っている」です。この架空の社会では、すべてのものは監視されていました。

 今日、英国には推定420万台の監視カメラが設置されています。ロンドンは監視カメラでいっぱいです。建物の入り口や歩道だけでなく、通行車両さえ監視されています。

 詩篇33編は、神もまた高い所から私たちを見ておられると述べています。(詩33:14)。神はわたしたちの外見や行動だけをご覧になるのではなく、思いや考え、動機も識別されます。神は創造者ですから、すべて仰せのとおりになります(9節)。神の永遠のご計画は、じゃまされることなく進んで行きます(10-11節)。神にとって、この世の障害物は、単なる踏み石です。多くの人は、強大な軍事力が自分たちを救い、守ってくれると考えるかもしれませんが、その望みは神によって打ち砕かれます(16-17節)。

 しかし、神を畏れる人は、この神から逃げる必要はありません。詩篇の作者は、「主の目は主を恐れる者に注がれる。その恵みを待ち望む者に。・・・・・主は、われらの助け、われらの盾」(18、20節)と確信しています。

 神の目は恐ろしいかもしれません。しかし、主を信頼する人は喜びます。神は、干渉しようと監視している「偉大な兄弟」ではなく、愛情深く見守ってくださる天の御父です。(Albert Lee)

 

”神を見つめていなさい。神はあなたから決して目を離さない。”

 

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9月13日土曜日 ”癒しのしるし”

 

夫を4年前に突然なくした友人に、どうしているかを尋ねたところ、「癒されてきているように感じるわ。目頭が熱くなることはよくあるけれど、涙が流れることは減ってきたから。私にとって、これは癒されてきたしるしだわ」と言いました。これは、愛する人を予期せず失った人たちの心が、時とともに変化していく様子をうまく表現しています。私たち夫婦も6年前にティーンエージャーの娘メリッサを亡くしました。

 聖書は、どのような苦しみのときにも慰めてくださる神がおられると約束しますが一度に起こるわけではありません。実際、この世では完全に癒されないと言う人もいます。このように語るのは、愛する人を失ってから私たち以上に年数がたっている人です。苦しみの只中で、私たちは主権者であられる神にすべてをゆだねますが、心の中に絶えず悲しみが巣食っていることもまた事実です。

 確かに、神は天の御国で目の涙をぬぐい取ってくださる(黙7:17)と約束してくださいました。しかし、それまで完全な癒しはありません。悲しみは薄れていきますが、消え去ることはないでしょう。詩篇の作者は、神のみことばが彼を生かし、悩みのときの慰めであると語りました。(詩119:50)。悩みと慰めは混在します。人生で最も辛い時でも、神の助けがあれば、少しずつ癒されていくのを感じることができます。(Dave Branon)

 

”私たちの罪を洗い清めてくださった神は、私たちの涙もぬぐい取ってくださる。”

 

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9月10日水曜日 ”叫びを聞け”

 

 インドには夫を亡くした女性が約4千万人いるとCNNが伝えています。インド北部のヴリンダヴァン市では、そのような1万5千人の婦人が路上生活をしています。悲しいことに、彼女たちの叫びは、家族の心に届いていません。70歳のある女性は、「『母さんは年を取った。今となっては誰が食べさせるのだ。出て行ってくれ』と息子に言われました。どうしたらいいのでしょう。辛くてしかたがありません」と涙ながらに語りました。

 神は、「すべてのやもめ、またはみなしごを悩ませてはならない」(出22:22−23)と命じられました。イスラエル人は、夫を失った女性や親を失った子供たちのために、畑の収穫をいくらか残しておかなければならず、3年に一度は、収穫物の10分の1を貧しい人たちのために用いるように定められていました。

 神は、イスラエル人が弱者の声に耳を傾け、彼らの権利を守り、彼らの世話をするのは当然だと考えておられました。エジプトでは奴隷だったのだから、その経験を思い出して弱い人を思いやりなさいと命じられました。彼らが困って神に叫ぶと、神はその声をお聞きになり救ってくださいました。抑圧と開放を経験させられたのは、その記憶が地域に暮らす弱い人たちを思いやる価値観を形成し、正しい行動につながるからです。(申24:18−22)

 私たちも天の御父に倣って、世の中の貧しい人たちの声に耳を傾けましょう。(Marvin Williams)

 

”神に近づけば近づくほど、他人のために心を痛めるようになる。”

 

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9月5日金曜日 ”根か枝か”

 

 樹木にとって長寿の鍵は、根の数が若枝よりも多いことです。作家ウィリアム・ブライアント・ローガンは、著書「オーク:文明の枠組み」の中で、「見えている部分がどんどん成長したとしても根が貧弱なら、その気はたいてい弱くて寿命が短い。・・・しかし、たくさんの根が伸びる一方で、ゆっくりと若枝が成長していく木は、たいてい寿命が長く、環境や外敵に対する抵抗力も大きい」と語っています。

 人間や組織も木に似ています。目立つ存在になるのは刺激的ですが、根を下ろす前に枝を張ってしまうなら、もろくて危険です。すぐに壊れたり、倒れたり、枯れてしまったりします。

 イエスは種まきのたとえを語られましたが、その中にも、これと似た話が出てきます。つまり、み言葉を聞くとすぐに喜んで受け入れる人は、岩地に蒔かれた種のようで、すぐに芽を出しますが、根がないためにすぐに枯れてしまいます(マタ13:6,20−21)。

根は少しも美しくはありませんが、力の源です。もし、私たちの根が、神の知識に深く下ろされていて(エレ9:24)、その命がキリストのうちに隠されているなら(コロ3:3)、私たちは力ある者です。苦難に対する抵抗力が大きく、逆境の嵐にも打ち勝っていけます。

 さて、あなたの根の深さはどれくらいですか。 (Julie Ackerman Link)

 

”神のことばと祈りに根ざしている人は揺るがない。”

 

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9月4日木曜日 ”裏切りの悲しみ”

 

 少年時代、お金を浪費すると、私のポケットには穴が開いている、と父によく言われました。これは、わずかなお金でイエスを裏切ったユダの心に、30枚の銀貨が穴を開けたのと似ているかもしれません。友人のイエスが、両手を縛られて裁判の場に引かれていくのを見たとき、ユダはどんな気持ちだったでしょう。彼は、その手が嵐の海を静め、目の不自由な人や口がきけない人に触れたのを見てきました。その愛の手に、彼自身の人生も何度も触れられたのです。

 ユダにとって、その銀貨はもはや報酬ではなく、自分の過ちを思い出させるものでした。歩くたびに響く銀貨の音が、哀悼歌となって彼を責めました。そして、絶望の中で「私は罪を犯した。罪のない人の血を売ったりして」(マタ27:4)と罪を認めました。

 イエスを裏切るような選択をするならば、私たちの人生は結局、悲しみに満ちたものになります。主を愛し、主に仕えたいと願う人たちでさえ、お金やその他の誘惑にたびたび出会って葛藤します。しかし、イエスを犠牲にして手にしたものは、最後には必ず後悔と悲しみの象徴になってしまうでしょう。

 金銭や他の問題に関して、何か決めなければならないことがあるとき、ユダを責めた銀貨の音を思い出してください。そして、悲しみ深いお方を裏切らないようにしてください。(Joe Stowell)

 

”慈しみ深いお方を裏切らない選択をしよう”

 

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9月1日月曜日 ”肩書きと責任”

 

アメリカの有名なコンサルタント会社の調査によると、会社を辞めようと考えている人の大多数は、十分な給料をもらっていないと感じているそうです。ところが、実際に給与が業界の基準以下の人は、全体の2割にもなりませんでした。

 サラリー・ドット・コムのビル・コールマンは、これらの人の問題は、給与が少ないというよりは分不相応な肩書きを持っていることだと言います。責任の重い仕事をするわけではないのに、会社が立派な肩書きをこしらえて社員にあてがっているのです。すると、仕事の内容ではなく肩書きに見合った給料をもらって当然だと人は感じるのです。「給与に関して言うならば、何と呼ばれているかではなく、どんな働きをしているかが、大切なのです」とコールマンは語ります。

 イエスも呼び方と働きについて教えられましたが、それは興味深いものです。主は最後の晩餐の席で、しもべになって弟子たちの足を洗い、驚くようなことを言われました。「あなたがたは私を先生とも主とも呼んでいます。あなた方がそう言うのはよい。わたしはそのような者だからです。それで、主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたも互いに足を洗い合うべきです。」(ヨハ13:13−14)

 キリストは、ご自分に従うすべての人に模範を示されました。大切なのは、何と呼ばれるかではなく、何をするかです。(David McCasland)

 

”キリストに仕えれば仕えるほど、自分に仕えることが少なくなる。”

 

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8月28日木曜日 ”ホットする食べ物”

 

思わず顔をほころばせてしまう大好きな食べ物を「ほっとする食べ物」と呼ぶ人がいますが、良い言い回しだと思います。私の場合、「ホットする食べ物」は牛肉とジャガイモの料理です。例えば、ハンバーガーとフライドポテトやミートローフと肉汁ソースのかかったマッシュポテトです。また、チョコレートもそうです。これらを食べると、何だかほっとします。すべては大丈夫だと言ってくれているようです。これが一番健康的な食べ物だという訳ではないのですが・・・・・。

 しかし、残念ながらすべてが大丈夫ではありません。ハンバーガーとフライドポテトがどれほどあろうとも、厳しい現実を変えることはできません。本当の安心は、食べ物では得られません。アルコールや薬物、金銭、快楽、権力とて同じです。本当の安心は人間が心の底から必要とするもので、単なるものでは解決できません。

 パウロは聖書を探求するなら平安を得るだろうと、ローマの教会の人々に言いました。彼は「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです」(ロマ15:4)と語ります。

 神は、私たちをみそばに近づけるために、みことばをくださいました。私たちは病んだ世界に住んでいますが、神と結ばれているなら、生きるために必要な平安をいただけます。(Bill Crowder)

 

”苦しみの海でもがくたましいにとって、神のみことばは救命具だ。”

 

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8月23日(土) ”パスカルの祈り”

 

パスカルは17世紀のすばらしい知識人で、科学と数学の分野で多大な貢献をしました。彼は力学の算出方法や水圧作用の基礎原理を確立しました。パスカルは若いときにイエス・キリストと出会う深い体験をして人生を変えられ、自らの研究の中心を科学や数学から神学に移しました。

 パスカルは次のような深い祈りを記していますが、この祈りは、どんな仕事についているクリスチャンにも有益です。「主よ、大きなことでも小さな働きのようにさせてください。あなたの力でそれをするのですから。また、小さなことでも大きな働きのようにさせてください。あなたの御名でそれをするのですから。」

 パスカルの願いは、まったく聖書的です。使徒パウロは、「私は私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです」と語り、また「何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」と勧めています。パスカルの祈りは、この勧めにそっています。どんなことによっても神の栄光を映すことができるので、全ての行為が大切であり、全てを神の力に頼って行うべきです。

 大きな仕事と向き合うときは、神があなたの力であると思い出してください。一方、取るに足らない仕事をするときは、神の栄光のために完璧を目指しましょう。(Dennis Fisher)

 

”神から偉大なものを期待して、神のために大いに挑戦しよう。”

 

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8月8日(金) 最高のレース”

 

オリンピックが北京で始まりました。私は今、1924年のパリ大会の400メートル走で優勝したエリック・リデルに思いを馳せています。この驚くべき勝利は、後世まで語り継がれていますが、それから一年後、彼は宣教師として中国へ旅立ちました。そして人生最後の20年間、田舎の教会の牧師として奉仕しました。その間、苦難、戦争、病気、不安などを相手に、彼は闘い続けました。

 リデルは、コリント人への手紙13章6〜8節を分かりやすく説明するために、次のように言いました。「愛は、人が悪に走ることを決して喜びません。不正義を喜ばす、真理を喜びます。愛は性急に暴露せず、沈黙を知っています。常に相手の最高を信じようと切望します。愛は希望と忍耐に満ちています。愛あは決して絶えることがありません。」

 彼は1500人が詰め込まれた日本軍の捕虜収容所に入れられましたが、自分が語った聖書のみことばどおりに生きました。年老いた捕虜のために水を運んだり、子どもたちのためにスポーツの審判をしたり、あらゆることをして他の人に仕えました。ある人は、リデルを牧師として語った説教に勝る優れた生き方をしたと言いました。

 エリック・リデルは、人生の最も困難なレースを愛によって闘いに勝利しました。(David McCasland)

 

”愛は、恐れずに歩み、自信をもって走り、勝利の人生をおくれるようにしてくれる。”

 

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8月7日(木) ”神の訓練校”

 

 ルー・ウォレスの小説「ベン・ハー」は、親友に裏切られ、ローマ軍のガレー船を漕ぐ奴隷にされたユダヤの貴族の物語です。ユダ・ベン・ハーは、船に向かって行進させられている途中、ナザレのイエスと出会い、そのあわれみによって希望に満たされます。そして、戦いの中で救出したローマ人の指揮官に感謝され、彼の養子になります。奴隷から相続人に引き上げられたのです。

 これは、神が私たちにしてくださったことと同じです。私たちは神の子とされました。しかし、大きな特権には、大きな責任がついてきます。パウロは、「私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります」と語りました。聖書は、イエスのもとに来て、のんきに幸せに暮らしましょう、とは言っていません。神の教育カリキュラムには、試練を通した訓練も含まれています。

 ローマの奴隷として苦しみに耐えた年月は、ベン・ハーを強くたくましくしました。そして、戦闘馬車のレースで、自分を裏切った友人に打ち勝ったのです。

 ベン・ハーの勝利の鍵は、忍耐と訓練でした。私たちクリスチャンは罪と悪と戦っていますが、勝利の鍵はベン・ハーと同じです。苦しいときは準備期間です。神はご自身の栄光のために大きく用いようと、私たちを訓練されます。(C.P. Hia)

 

”継続は勝利への力だ”

 

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8月1日(金) ”ある助産師の物語”

 

 歴史家ローレル・ウルリッヒは「ある助産師の物語」でピューリッツァー賞を受賞しました。この本は、アメリカ独立戦争時代の助産師、マーサ・バラードの日記に基づいています。マーサは、カヌーや馬に乗ったり、歩いたりして妊婦のもとに駆けつけ、出産の手助けをしました。出産で生命を落とす人が少なくなかった時代、マーサの実績は驚異的です。1000回を越える分娩を手助けして、一人の死者も出しませんでした。

 神の国には、新しいいのちを。生み出す助け主がおられます。それは御霊で、その役割は、「二度目の誕生」をもたらすことです。御霊は、様々な方法でこれを成就されます。世に罪を認めさせ、福音に力を与え、人を内側から造りかえます。そして、神を信じる人たちをキリストと永遠に結び合わせます。御霊は目には見えませんが、その新生の業は人の目にはっきりと映ります。

 イエスは聖霊について、「風は思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこに行くのかを知らない。御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです」と言われました。御霊が望んでいることは、私たちを用いて福音を伝えることです。そうすれば、新生を経験する人が増えていくことでしょう。(Dennis Fisher)

 

”御霊はクリスチャンの力の源だ。”

 

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